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走り回って遊んだ、あの風景を残したくて。

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物 語

変わりいく風土の中で

 

 「いろは」が出来るまでのお話です。始まりは1991年、大正時代の床屋さんで「友光軒」というハヤシライス屋さんを始めたことからでした。アールデコの素敵な建物だったので「この建物で働きたい!」そんな単純な動機でした。当時、古民家カフェなんて言葉もない時代でしたから、その珍しさも相まって多くの方に愛して頂きました。しかし、それと同時に、同じような古い建物は駐車場や新しいものへと姿を変え、それに寂しさを感じるのでした。時代は開発によって地域再生を促す流れでしたので、「壊さないでくれ」というのは当時、根拠も結果も伴わないものでした。けれど協力してくれる仲間も徐々に増え、鞆の浦の空き家を一軒ずつみんなで直していったのです。その中の一軒が「いろは」であり、鞆の浦の町並みを残すことを目的としたものでした。これが地域課題の解決策ではありませんが、全ての事を一世代でどうにかしようとせず、短期的、長期的な課題とを見極めて、焦らず進んで行けば、いつか実る日が来ると思っています。壊したら終わりです。
 

鞆まちづくり工房
松居 秀子
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※スマホの場合は、画面を横にすると読みやすいかと思います。

略歴 評価

名 称

御舟宿いろは

母 体

NPO法人 鞆まちづくり工房

共同運営

合同会社 鞆まちづくり会社(https://www.tomo-firm.jp


略歴 と 評価
1991年

「友光軒」オープン
大正時代に建てられたアールデコの床屋さんが素敵だったので、それを活かしたくて、修繕し、ハヤシライス屋さんを始めました。

 〃

「海の子」設立
NPOの前身となる集まり。鞆の浦の魅力を再発見する個展や歴史、空家調査などを開始しました。この活動は2010年代まで継続的に行ないました。

 〃

「鞆港埋立架橋計画に反対する署名活動」を開始
6千人以上の署名を頂きました。

2001

「WMW(World Monument Watch)」へ申請
【危機に瀕する文化遺産】に選定。

2003

「NPO法人・鞆まちづくり工房」設立
本格的に空家再生事業に取り組み始めました。

2004

「旧 魚屋萬蔵宅」購入
購入費、修復費の資金繰りに奔走しましたが、本当にたくさんの方のお力添えで修復工事に取り掛かりました。

2005

「御舟宿いろは」オープン

 〃

「グッドデザイン賞」受賞
空家再生活動に対し、評価を頂きました。

2007

「鞆港湾埋め立て差し止め訴訟」開始
これまでの仲間に加え、思いある弁護士の皆さんが無償で協力してくれ、始まりました。

 〃

「鞆港埋立架橋計画に反対する署名活動」を再度行なう。
活動が全国へと波及し、15万人以上の署名を頂きました。

2009

「鞆港湾埋め立て差し止め訴訟」決着
“文化的景観は国民共有の財産である”という前例のない判決を頂き、20年以上平行線が続いた開発問題に終止符が打たれました。

 〃

「日本ユネスコ 未来遺産」登録
空家再生や歴史調査など、“歴史・文化的景観を活かしたまちづくり”に対し、評価を頂きました。

2016

「峰山富美賞」受賞
小樽運河の埋め立てを止めた峰山富美さんを想って創られた賞。歴史的価値のある町の開発のあり方の考えや取り組みを評価して頂きました。

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