NPO法人 鞆まちづくり工房 【空家再生事業】

御舟宿いろは

-食事処/宿-

ご紹介

宮崎駿監督デザイン 坂本龍馬談判の町家


坂本龍馬といろは

 
慶応3年(1867年)4月23日深夜、坂本龍馬と海援隊士34名を乗せ、海援隊初の航海へと船出した「いろは丸(45馬力・160t) は瀬戸内海を大阪に向けて航行中、現在の福山市宇冶島沖で紀州藩の軍艦「明光丸(150馬力・870t)」と衝突事故をおこしました。小さな蒸気船いろは丸は大破し、明光丸に鞆の浦に曳航される途中、沈没しました。この海難事故の賠償交渉は万国公法(当時の国際法)にのっとり、この場所で行われました。

宮崎駿監督といろは

 
宮崎駿監督とのご縁のきっかけは、スタジオジブリの社員旅行の誘致からでした。この時の体験から宮崎監督は鞆の浦が持つ特有の空気感を気に入ってくださり、翌年、個人的に2ヶ月間滞在されました。監督と共に過ごす日常は、普段見落としてしまいがちな多くの小さな驚きと発見、そして好奇心に溢れたかけがえのない時間となりました。この日常の中で、当時、修復工事中であった当館にもよく訪れられ、“このような建物が鞆の浦に出来て欲しい”と「いろはの完成予想図」を描いてくださりました。このような経緯から、鞆の浦が持つ貴重な町家が、宮崎駿監督という新たな価値が加わり、現代へと甦りました。

 

いろは に込めた思い

歴史を繕い繋いでいく

  万葉から続く港町・鞆の浦。多くの歴史的価値を持つ施設や、物品を保有しています。
また、鞆の浦ではそれらが、未だに利用され、人々の生活を支えています。
 私たちは、この先人が作り上げてきた歴史(ひと・文化・暮らし)を
次の世代へと繋ぐべく、まちづくりを考えています。
 古き良きものを、現代の色で塗りつぶすのではなく、
それに合った色を塗り足し、利用していく。
景観の保存が地域性の保存へと繋がり、
独自に発展した鞆の浦の文化を継承していきたいと思います。
「御舟宿いろは」は、そんな理念のもと、江戸時代の姿に復元され
宮崎駿監督の色を足して完成しました。
歴史が作り上げてきた価値に、新たな価値が加わったこの物件が
後世にまで活用され、歴史を繋いでいく一役を担っていって
もらうことを願っています。

 

いろはで過ごす

歴史を感じる空間

食事処と宿として活用しています。古き良き時代が復元され、宮崎駿監督の思いが
加えられた空間で、思い思いの時間をお過ごしください。